目覚ましい活躍を見せている日本のテニス界、アジアのテニス界のエース。錦織圭選手。
これだけの活躍を見せている選手の、育った環境や教育方針、考え方など気になりますよね。
錦織圭選手がどのような環境で育ち、どのように育てられ、テニス界のヒーローになったのか気になり調べてみました。
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錦織圭選手の経歴
錦織圭選手の生年月日は1989年12月29日。
出身地は島根県松江市。
学歴は乃木小学校、開星中学校、青森山田高等学校を卒業。
(中学2年生でアメリカへ渡ったので中学・高校ともに通信課程での卒業のようです)
身長は178㎝で体重は74㎏。血液型はA型。
父親はダムや林道を造ったりする土木事業に関わる技術者で母親は主婦。
両親ともにテニスが趣味だったそうです。
錦織圭選手がテニスを始めたのは5歳。
きっかけはお父さんが社員旅行で行ったハワイで子供用のラケットを買ってきたこと。
錦織圭には4つ上の姉がいて、両親の趣味が講じてかテニスを始めていたこともあり、
錦織圭選手も松江市内の「グリーンテニススクール」に通い始めたもよう。
島根県はテニスに集中するのに良い環境だったようです。
ジュニア時代のコーチが言うには、
「大都市圏だと思春期の誘惑も多いし、いくら才能のある子でも周りに流されて、結局埋もれてしまうことが多々あります。
それに比べ、島根は静かだし、テニスに集中できる環境が整っている。また、場数を踏むことが圭の成長には欠かせないと思っていましたから、そういう点でも島根は良かった。
島根は強い選手が多くないので、圭は小学校の低学年から中国大会や全国大会に出ることができた。何事にも動じない圭のメンタルは、小さい頃から大きな大会の雰囲気を肌で感じ取ることで培われたんです」
そんな錦織圭選手の才能が開花したのは、小学6年生の時。
全国小学生テニス選手権で優勝!
この優勝が松岡修造の目にとまり、「修造チャレンジ」に参加。
この修造チャレンジの参加がきっかけで
「本気でプロになりたい!」
と考えるようになったようです。
さすが松岡修造さんですね!
「諦めるなケイ、諦めたらそこで終わりだ!ケイならできる!絶対できる!」
なんて言われ続け、メンタル部分でもかなり成長したんでしょうね。
そんな時に運命の出会いが!!
ソニーの創業者、盛田昭夫氏(故人)の実弟で、日本テニス協会名誉会長の盛田正明氏。
「世界トップレベルの選手を作る」という目的の元、盛田氏が私財を投じて設立した「盛田テニスファンド」に、錦織圭選手が練習生として招かれることに。
その錦織圭選手に大きな転機が!
2003年、中学2年生の時、盛田ファンドの奨学金制度で、米国のフロリダ州にあるIMGアカデミー(プロスポーツ選手養成所)にテニス留学するチャンスが!
中学2年生。錦織圭選手は単身海を渡りました!
プロになれる保障もない中、義務教育の途中でのアメリカ渡航。
錦織圭選手にかなりリスクを負わせた形ですよね
錦織圭選手はもちろんですが、送り出す両親も相当な覚悟だったんでしょうね。
フロリダではもちろんテニス漬けの毎日。
朝の5時半から夕方の6時まで、学校で授業を受ける数時間を除いて、常に練習だそうです。
3年目になるとIMGから、錦織に専属のコーチを付けたいと盛田氏に提案があったそうです。
専属コーチは1000万円近い費用がかかるそうですが、盛田氏は快諾したようです。
そして4年目の2007年17歳でプロになり世界を舞台に羽ばたいていきます。
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錦織圭選手の両親の教育方針
中学2年でアメリカに渡るという決断。
相当な意志の強さ、度胸、覚悟が必要だったでしょうね。
そして同時にご両親の援護と覚悟。
錦織選手を送り出した両親の教育方針とは、どのようなものだったんでしょうか?
一言でいうと、「自由」「遊び心」「信じる事」「自由」「遊び心」
「子供の好きなことをやらせる」という方針で、テニス以外にも水泳、サッカー、野球にピアノまでなんでもやらせたようです。
錦織選手のお父さんは圭選手を無理やり型にはめるようなことはしなかったようです。
あの「エアケイ」。今でこそ錦織選手のウイニングショットとなっていますが、
最初コーチから
「ショットが安定しないから飛ぶな」
と怒られていたようです。
ですが、お父さんは黙って錦織選手のやりたいようにさせていたようです。
それどころか、野球選手だった野茂のトルネード投法や、イチローの振り子打法をサーブに取り入れるなど、遊び心を大切にしていたようです。
実際、休憩時間にテニスボールでリフティングしたり、ラケットにボールを載せて遊んでいたことでラケットさばきが上手くなり、
あのマジックのような絶妙なドロップショットを生んだのでははいでしょうか。
また、頭を超すショットを打たれた時、錦織選手は後ろを向いたまま打ち返す練習なんかをよくやっていたそうです。遊びの延長で。
「信じる事」
ご両親は錦織圭選手のことを本当に信じていた。
錦織圭選手の転機、アメリカ留学の際、
「目の前にあるチャンスを自分で掴んで来い」
という強い思いで送り出したようです。
まだ中学2年生の子供が「アメリカにいきたい」という気持ちを尊重した結果です。
子供の可能性というものを心から信じていたんですね!
「型に嵌まらず、遊び心を忘れない」
これが錦織圭選手のテニスの原点のようですね。
マイケルチャンとのきっかけは母親が?
プロになっても上位選手との大きな壁を感じていた錦織選手。
そんな状況を打開するため、錦織選手は自分よりも低い身長で世界ランク2位までいったマイケルチャンにコーチを頼みたかったようですが機会がなかったそうです。
そんな時、たまたまお母さんが試合会場でマイケルチャンの奥さんを見かけ話しかけたのがきっかけのようです。
マイケルチャンコーチは錦織圭選手に
「Believe, you can do it(信じろ、お前ならできる)」
と言い続けたようです。
錦織圭を信じた両親と同じですね。
その結果あの名言。
「勝てない相手はもういないと思う・・・」
これを聞いたときはしびれましたね~。
確実に一段上のステージに上がった錦織圭選手。
世界一も近そうですね!
参照・転用:wikipedia/現代ビジネスSPORTSプレミア
なんかここで終わりみたいな感じですが、一番気になる方もいるんじゃないでしょうか?
錦織圭選手の可愛いお姉さんとは?
4歳錦織圭選手の年上で錦織玲奈(れいな)さんという名前のようです。
横顔ですがお綺麗な方ですね!
高校時代はインターハイに出場するなど、テニスの実力も相当なもの。
2014ATPワールドツアーファイナル
関西地区・神戸を中心にNPO法人「TASU-club」にてテニスを通じて社会貢献する運動を行っているようで、小さな子供からお年寄りまで楽しめるテニスの魅力を伝えているそうです。
両親の趣味がテニス。お姉さんはテニスの魅力を伝える活動を。
家族ぐるみでテニスに関わっている錦織家。
今や家族の期待だけじゃなく日本の期待を背負い戦っている錦織圭選手。
「Believe, you can do it」
世界一、お願いします!!
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