羽生結弦の強さは半端ない負けず嫌いの性格?名言やエピソードから考察

スキージャンプなど、ウィンタースポーツの話題が多くなってきました!平昌オリンピックまであと半年を切り、各種目の選手たちも気合い十分です!

さて、冬季オリンピックでも最も人気のあるフィギュアスケートも、続々とプログラムが発表・変更されるなど、いよいよ熱を帯びてきました。

中でも、前回王者として連覇の期待がかかる羽生結弦選手自己ベスト、世界記録の更新にも意欲を燃やす彼の強さの秘密を探ってみました!

アイキャッチ画像引用:http://sakurb.blog.fc2.com/blog-entry-545.html




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羽生結弦のプロフィール

まずは羽生選手のプロフィールからおさらいです♪

〈生年月日〉1994年12月7日(射手座)
〈出身地〉 宮城県仙台市
〈家族〉  父・母・姉
〈血液型〉 B型
〈身長〉  171㎝ ※175㎝のうわさあり
〈体重〉  56㎏ ※変わっている可能性あり
〈所属〉  カナダ・クリケットクラブ
〈学歴〉  仙台市立七北田小学校→同中学校→東北高校→早稲田大学人間科学部(eスクール)在学中

お父さんは公立の中学校の先生だそうです。2年ほど前には教頭先生のようでしたので、現在は校長先生になっているかもしれませんね。野球部の顧問で、大の野球好き。

お母さんはパート勤務。羽生選手の衣装やアクセサリーはお母さんの手作り、というのは、よくテレビなんかでも紹介されていましたね。

元アメリカの代表選手、ジョニー・ウィアーさんのアドバイスも受けながら丁寧に製作されていました。

お姉さんは4歳年上で、やはりフィギュアをやっていました。羽生選手が始めたのも、お姉さんのスケート教室にくっついていって、面白そうだと思ったからだとか。

お姉さんに追いつけ、追い越せで頑張ってきましたが、中流家庭のおうちで2人のスケーターを支援していくのはやはり大変なんですね。

お姉さんは羽生選手に将来を託して、競技から身を引いたそうです。

好きな食べ物は寿司、餃子、プリンなどなど。油断するとすぐ太ってしまいそうな(笑)食べ物ばかりですが・・・。

あのスリムな体型を維持しているところからして、相当な努力をしているのでしょう!

世界NO.1スケーターの経歴まとめ

今や、自他共に認める世界№1の羽生選手。天才と言われる彼ですが、努力に努力を重ねて王者の地位にたどり着いたんです。これまでの経歴も、あらためて見てみましょう!
羽生結弦
画像引用:http://livedoor.blogimg.jp/yuzukunblog/imgs/c/9/c959aebb.jpg

スケートを始めたきっかけ

プロフィールでも紹介しましたが、幼いころ、現在はフィギュアの国際試合などで解説者としても活躍する佐野稔さんが仙台で開催していたスケート教室に、お姉さんの後を付いて行き始めたことがきっかけ。

4歳でスケートを始めます。

小学校になるとスケート漬けで友達とも遊べない環境に嫌気がさしたこともありましたが、気持ちを立て直し、9歳だった2004年の全日本ノービス(B)で優勝

その後、通っていたアイスリンクの閉鎖による練習拠点の変更などで伸び悩みもありました(後に元のリンクで再び練習できるようになり、調子を戻していきます)。

ジュニア時代

羽生結弦
画像引用:http://timewarp.jp/images/upload/2010/03/baflo_JYFA058575.jpg

中学1年では、ノービスクラスの年齢でありながら、全日本ジュニアで3位を獲得。ちなみに、ノービス選手が全日本ジュニアの試合で表彰台に上がったのは史上初でした!

[2008-2009シーズン] 

この本格的にジュニア参戦。全日本ジュニアで優勝、世界ジュニアでも最年少ながら12位となります。
(ちなみに、この年初めて全日本フィギュアに出場。8位に入りました)

[2009-2010シーズン]

ジュニアGPシリーズで史上最年少の総合優勝。全日本ジュニア2連覇。全日本選手権でも6位に入るなど、めきめきと力をつけてきました。

さらに世界ジュニアでも、髙橋大輔、織田信成、小塚崇彦選手につぐ史上4人目の優勝を果たしました。

シニアデビュー

[2010-2011シーズン]

フィギュアの名門・東北高校に進学。このシーズンからシニアデビューです。

グランプリシリーズのNHK杯、全日本フィギュアともに4位。初めて出場した四大陸選手権で銀メダルを獲得します。

この年、東日本大震災が発生。羽生選手自身も被災し、練習拠点であったアイスリンク仙台は営業休止に。4日間の避難所生活を送ります。

同じ東北高出身の荒川選手ら先輩たちとともにチャリティーショーなどを行いつつ青森や神奈川で練習を続け、同年7月にホームリンク再開により、ようやく仙台に拠点を戻すことができました。

[2011-2012シーズン]

グランプリファイナル初出場で4位。全日本フィギュアで3位に入り、世界フィギュアへ。銅メダルを獲得しました。一方で技術面などに伸び悩みを感じていたようです。

[2012-2013シーズン]

多くの金メダリストを育てたブライアン・オーサー氏にコーチを変更。一気に才能が開花します。

グランプリファイナルで2位、全日本フィギュアで初優勝。四大陸選手権では体調不良などあるも2位。続く世界フィギュアで4位となり、髙橋大輔選手とともにソチオリンピックで最大の出場3枠獲得に大きく貢献します。

[2013-2014シーズン]

グランプリファイナルで初優勝。全日本選手権連覇。そしてオリンピック代表に選出されます。

そして、ソチオリンピックへ。

SPでは101.45点で世界で初めて得点を100点台に!

FSではミスも出て自己ベストに遠く及ばなかったものの、日本男子シングル史上初、金メダルを獲得!
羽生結弦

本シーズンは世界フィギュアも制し、3冠達成の快挙を果たします。

[2014-2015シーズン]

他選手との衝突事故、けが、病気など度重なる不運が起こったシーズンでもあります。そんな中でもグランプリファイナル2連覇、世界フィギュア銀メダルなど、世界王者としての意地と誇りをみせてくれましたね!

[2015-2016シーズン]

何といっても世界最高記録の更新です!映画「陰陽師」のサウンドトラックを使用したFSのプログラム「SEIMEI」を生み出し、グランプリファイナルではSP110.95点、FS219.48点、

トータル330.43点という、異次元の数字をたたき出して優勝。

全日本フィギュアも制し、王者奪還をかけて臨んだ世界フィギュアは精彩を欠いた演技で銀メダル。明と暗を味わったシーズンでもありました。

[2016-2017シーズン]

グランプリファイナル4連覇。羽生選手の尊敬するプルシェンコさんの記録と並ぶ大記録です。全日本はインフルエンザの発症で出場できず、5連覇を逃したものの、世界選手権ではまたもやFSの最高得点を更新(223.20点)。3大会ぶりの王座奪還となりました。

そしていよいよ今シーズンは、オリンピック・シーズンです。

プログラム

SP:ショパン「バラード第1番」
FS:「SEIMEI」

 

金メダルを取るために準備してきたこのプログラムで、オリンピック連覇、達成してほしいですね!
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羽生結弦の強さはその性格から?

 

弱冠22歳ながら、すでに王者の貫禄を存分に見せつけてくれる羽生選手。その強さは、努力に裏打ちされた自信によるものもありますが、本人もたびたび口にしている「負けず嫌い」な性格に寄るところも大きいのかも?!

それはまっすぐなで真面目な性格だからこそであり、情熱家だからこそ、ではないでしょうか?? そんな「名言」「エピソード」を集めてみました♪

羽生結弦の名言

羽生結弦

[強気な発言]

「とにかく負けず嫌いだったので、何をするにしても、自分ができないと『絶対に一番になってやる』、と思って練習に取り組んでいました」

「ちっちゃい頃から、学芸会の時とか、主人公になりたいタイプ」

「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。悔しさをバネに進んでいける」

「絶対王者になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた」

「五輪王者というプレッシャーに挑戦できる」

「(自分は)勝気だし、貪欲だし、ビッグマウスだと思われていると思う」

「期待される感覚が好き。それはプレッシャーじゃなくて快感なんです」

「逆境や自分の弱さが見えたときが好きです」

「『負けても悔いはない』は嘘。勝てない試合が楽しいわけがない」

「逆境は嫌いじゃない。それを乗り越えた先にある景色は絶対にいいはずだと信じている」

「できることを出し惜しみしてやっていてもつまらない。それは一生懸命ではない」

「いい演技をするのが目標なんて謙遜する選手が多いけど、完璧な演技で負けたら屈辱的でしょ!僕は勝ちたい」

生意気に思われることの多い羽生選手ですが、わざと強気な発言を口にすることで、自分自身を追い込んでモチベーションを高めていくタイプのよう。

「言ったからには、何が何でも勝つ!」という気迫が演技を支えているんですね!

 

[芯の強さが見える言葉]

「壁の先には壁しかない。壁を克服しても、自分は人一倍欲深いから、また越えようと思う」

「一からやり直して、自分で壁をしっかり爪の先でも引っ掛けてのぼりたい」

「いつも通りやろうとしたら、僕の負け」

「一生懸命が大事。1分1秒を大切にする」

「具体的に自分が何をすべきか、今何をしなくてはいけないのか、諦める諦めないの前に考える」

特にフィギュアスケートは、どんなに才能があっても、練習なくしてトップに立つことはあり得ないスポーツ。努力と挑戦、そして冷静な思考が羽生選手を強くしていることを垣間見せてくる言葉ばかりです。

 

[魂の言葉]

「避難所で3日間過ごしました。その避難所で、たくさんの人たちに助けていただいて、だから僕は皆さんのために何でもしたいと思っています。僕ができることはスケートだけですが」

「自分は今ここに1人でいます。金メダリストは日本の男子スケーターとして1人しかいないですけど、表彰台に上がったとき、本当に日本の皆さん、世界中で応援してくださった皆さんの思いを背負って演技できたことをうれしく思いました。恩返しができたんじゃないかなと思っています」

「僕がみんなを支えるなんて、間違った考えでした。僕の方がみんなに支えられていたんだな」

 

羽生選手は、東日本大震災を境に強くなったのでは?

というのはよく言われます。強気で生意気なメディアでの発言に隠れがちですが、実際の羽生選手は子どものころから礼儀正しい子と有名だったそうです。

震災では、故郷が大変な時に「スケートをやっていていいのか」と苦悩し、被災者スケーターと呼ばれることを嫌っていた時期もあったよう。

そんな中でソチの金メダルを獲得し、自分にできることは何か、という目標が定まり、より一層の感謝を込めて滑り続けるようになったのでしょうね。

 

羽生結弦のエピソード

試合で学校を休ことが多くても、成績は常にトップクラス。自分でドリルを買って、コツコツと勉強しているようです。
ちなみに早稲田大は通信制で就学していますが、毎日7時間勉強することもあるようです!

仙台のホームリンクにいたころは、早朝練習が終わると一般向けの貸し靴コーナーで貸し出しの手伝いをしていた羽生選手。
なかなか行けない学校でも、登校できる日は掃除などを人一倍熱心に取り組んでいたそうです。

17歳で出場したフィンランディア杯終了後、リンクに戻り、試合で開いた穴に氷を埋める製氷作業をもくもくと手伝っていたとのこと。

未曾有の被害を出した東日本大震災。東北地方で多くの死者、被災者を出し、なおもたくさんの人々が避難所生活を送る中で自分がスケートの練習を行うことに苦しみ、
一時はスケート靴を脱ごうと思ったことも。

しかし、同じ東北高野球部がボランティアをしながら春のセンバツでプレーする姿を見て、勇気づけられ、再びスケートへの情熱を取り戻しました。

 

最後に

〝超″が付くほど「負けず嫌い」な羽生選手

「壁を越えたい」「ライバルに負けたくない」、そして何より「自分自身に負けたくない」という性格が、強気な発言と実際のモチベーションにつながっているんですね!

その実、誰よりも繊細で優しい心の持ち主だということも見え隠れしますが、他者への感謝と思いやりも、羽生選手を強くしているのだと思います。

さあいよいよ、平昌オリンピック。きっと連覇を達成して、羽生選手の「強さ」を見せてくれることでしょう!!
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