清水咲子が大学で進化!強さの源は母親の言葉!性格考慮で日本新?

日本水泳界の将来を期待されている水泳選手の一人である清水咲子選手。

個人メドレー400m日本記録保持者として目覚ましい活躍をしていますが、中学高校時代は目立った成績を残していないようです。

そんな清水選手が飛躍したのは高校3年。実はその裏には母親のたった一言の言葉があったんです。

今回は清水咲子選手の出身中学や高校などの経歴から、性格、水泳人生を変えた母親の一言などを紹介します。




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清水咲子の身長や体重は?プロフィールまとめ

名 前 :清水咲子(しみず さきこ)
生年月日:1992年4月20日
出身地 :栃木県那須町
身 長 :156㎝
体 重 :51㎏
中 学 :大田原市立湯津上中学校
高 校 :作新学院高等学校
  ※水泳部の後輩に萩野公介選手

大 学 :日本体育大学
所 属 :ミキハウス
種 目 :個人メドレー

水泳を始めたきっかけや経歴&成績まとめ

清水咲子選手は3歳年上のお兄さんが水泳をやっていて、4歳の時に「私も水泳やりたい」とせがんで始めたようです。

中学高校では記録が伸び悩んでいたようですが、高校3年生のインターハイ400m個人メドレーで優勝!

その後日本体育大学に進学し、次々と記録を伸ばし日本記録を更新!日本代表としてリオオリンピックに出場。

400m個人メドレーで自己ベスト「4.34.66」を記録するも8位。

このリオでのタイムが現在(2017.3)の日本記録となっています。

■2010年(高校3年)
 日本選手権 400m個人メドレー7位
 高校総体 400m個人メドレー 優勝
 高校総体 200m個人メドレー 7位

■2011年(大学1年)
 日本選手権 400m個人メドレー5位
 日本学生選手権 200m個人メドレー8位 400m個人メドレー4位

■2012年(大学2年)
 日本選手権 400m個人メドレー6位
 日本学生選手権 200m個人メドレー5位 400m個人メドレー2位
 国民体育大会 200m個人メドレー4位

■2013年(大学3年)
 日本選手権 200m個人メドレー6位 400m個人メドレー3位
 日本学生選手権 200m個人メドレー優勝 400m個人メドレー2位
 国民体育大会 200m個人メドレー優勝

■2014年(大学4年)
 日本選手権 400m個人メドレー優勝 200m個人メドレー3位
 アジア大会 400m個人メドレー2位

■2015年(ミキハウス)
 日本選手権 200m個人メドレー2位 400m個人メドレー1位

■2016年(ミキハウス)
 リオデジャネイロオリンピック
 コナミオープン 400m個人メドレー優勝
 日本選手権 400m個人メドレー2位





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清水咲子の性格を考慮し個人メドレーへ?

清水咲子
清水咲子選手はもともとすごく飽きっぽい性格のようです。
小さいころから習い事はたくさん行っていてピアノ、英会話、そろばんなどもやっていましたが一番長く続いたのが水泳だったようです。

ピアノや英会話、そろばんなどは続けるのが苦痛だったそうですが水泳だけは友達と一緒にできていたこともあり楽しかったようですね。

中学2年生からは地元のスクールを離れ「みゆきがはらスイミングスクール」に通い始めました。毎日往復2時間、両親が車で送り迎えをしていたそうです。

当時は平泳ぎを専門として泳いでいましたが、やはり飽きっぽい性格なのか「平泳ぎの練習ばかりやることは無理です」とコーチに直談判。すると「個人メドレーをやったらいい」と言われ個人メドレーを泳ぐことになったそうです。

個人メドレーでしたら、平泳ぎの他、自由形、背泳ぎ、バタフライがありますからね!

ある意味飽きっぽい性格が自分の新しい魅力発見につながったのかもしれませんね。

清水咲子の才能を開花させた母親の言葉とは?

高校に進学すると遊ぶことが楽しくなってしまい、練習にも遅れるるようになるなど、水泳で結果が出なくなることが当たり前になっていき、辞めようと思ったようです。

そういう状況で母親が

「咲子のタイムが出ないのは、お母さんも悲しい」

と言われたことで自分一人の水泳ではないことに気付き、水泳を辞めようと思うこと自体が恥ずかしくなったそうです。

このまま家族に何も返せないまま水泳を終わるのが嫌だと感じた清水咲子選手はその母親の一言で、家族みんながいてこそ水泳が続けられるんだと思い直し頑張り始めたそうです。
そして高校3年生の時に全国高校総体(インターハイ)400m個人メドレーで初めて優勝を経験し、

「母親の一言を忘れることなく、練習を積み重ねたことで、インターハイ優勝がついてきたという感じでした」

と語っています。清水咲子選手のこういった話を聞くと水泳って家族の支えがどれほど重要なのかが分かりますね。

大学でも母親の言葉を胸に進化!

清水咲子
インターハイで優勝したことでたくさんの大学からの誘いがきたそうです。その多くの誘いの中で清水咲子選手が選んだのが日本体育大学でした。

日本体育大学を選んだ理由は

「自分より強い人しかいないから」

自分が一番になれる大学に行くと、ちやほやされて間違っていても指摘してくれる人がいないと感じたからだそうです。

その直感は当たり、レベルの高い競争の中で清水咲子選手の記録はどんどんと伸びていき自己ベストを何度も更新しました。

大学での成長の裏には高校の時に言われた母親の言葉も影響しているみたいですね。

インタビューを受けた際には必ず周りの人への感謝の言葉を口にし、

「結果を残したとき、自然とその思いが沸き上がるから。心が折れそうになった時、周りの支えてくれる人のことを考えると、いつもより少し頑張れる気がする」

と語っています。
自分のことを支えてくれている人に感動を与えることができるようなレースを目指し、清水咲子選手は日々練習を続けレースに挑んでるんですね。

母親のたった一言がこれだけ一人の人間の心を変えるってすごいなあと思います。

最後に

清水咲子選手は2020年東京オリンピックを目指しています。

飽きっぽい性格ながらも周りへの感謝を忘れず水泳を続ける彼女が東京オリンピックでも活躍し、周りの人を笑顔にさせる瞬間を国民みんなで一緒に味わいたいですね。




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