水泳界には様々なスター選手がいます。最近ではオリンピックでメダルを獲得することも珍しくなくなり水泳選手に対する注目は東京オリンピックを控えた今、さらに高まっています。
そんな中一人の注目の選手をご紹介します。寺村美穂という水泳選手です。
彼女の水泳人生は波乱万丈で彼女の努力と精神力の強さを見ていると家族の大事さや頑張り続けることの大事さを教えてくれます。
今回は寺村美穂選手の怪我に負けず乗り越える姿や家族愛に溢れる姉との関係性などを紹介!
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Contents
寺村美穂その身長や体重は?プロフィールをチェック!
名 前 :寺村美穂(てらむら みほ)
生年月日:1994年9月27日
身 長 :165cm
体 重 :53kg
出身地 :千葉県
所 属 :セントラルスポーツ所属
競技種目:個人メドレー、平泳ぎ
寺村美穂の高校や大学は?経歴や戦歴まとめ
寺村美穂さんが水泳を始めたきっかけは、もともと水遊びが好きだったこともあるようですが、姉の美樹さんが水泳を習っていたことが影響して地元のセントラルフィットネスクラブに通い始めたようです。
流山市立東部中学校時代は平泳ぎの選手でしたが、ひざを怪我したことにより平泳ぎを続けることが難しくなったことで種目を個人メドレーに転向します。
しかし逆にこれが功を奏したのか、中学校3年生のときには全国中学校水泳競技大会の200m個人メドレーに出場して、当時の中学記録2分14秒02秒をたたき出し、個人メドレーが寺村美穂選手にとって自身の才能を生かせる種目と気付かせるきっかけになったのかもしれません。
千葉商科大学付属高等学校では高校2年生の時に、インターハイの200m個人メドレーで2分13秒67を出し優勝!
そのレースをきっかけに水泳界の期待の星として注目されるようになります。
そして高校3年生の時に2012年ロンドンオリンピックの出場権がかかる日本選手権200m個人メドレーに出場し、決勝で2位に入ったものの派遣標準記録に0秒53及ばない2分12秒95となり、期待されていた寺村美穂選手はロンドンオリンピックの出場権を手にすることができませんでした。
ロンドンオリンピックの出場権を逃した寺村美穂選手は日本大学に進学すると、リオオリンピックに向けて世界を舞台に活動するようになります。
2013年にはバルセロナで行われた世界選手権の日本代表に選出され、2014年韓国のインチョンで行われた200m個人メドレーでは2分11秒24をマークして見事銅メダルを獲得!
ロンドンオリンピックに出場できなかった悔しさを胸に努力を続けた寺村美穂選手。2016年その悔しさを晴らす舞台に立ちます。
リオオリンピックの出場権がかかった日本選手権200m個人メドレーで派遣標準記録の2分11秒03を大幅に上回る2分9秒87という自己ベストをたたき出し日本選手権に優勝。
見事リオオリンピック日本代表に選出されました。寺村美穂選手にとって4年間の努力が報われた瞬間だったでしょう。
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平泳ぎからの転向を余儀なくされた怪我とは?
寺村美穂選手は中学生の時にひざの怪我で平泳ぎから個人メドレーへの種目変更を余儀なくされます。
その後だましだまし選手生活を続けていたものの、結局2度にわたる右ひざの手術を決意することになります。
ロンドンオリンピックを逃した日本選手権後に1度目の手術を行ったものの痛みが完全になくならず、リオオリンピック開幕のほぼ1年前である2015年4月に2度目の手術。
怪我に泣かされながらも、2016年リオオリンピック選考会である日本選手権で自己ベストを出した精神力と彼女の努力は見てるファンからしても感動的ですね。
寺村美穂を支えた姉の家族愛溢れるメッセージ
寺村美穂選手の家族は両親と姉、弟の5人家族。
寺村美穂選手の波乱万丈な水泳選手としての生活を続けることができたのは家族の支えあってのことだと思います。
姉の美樹さんはツイッターでリオオリンピック代表に決定した寺村美穂さんへ、
「どんなに落ちてもまた這い上がっていろんな人に感動を与えてくれる。今日のレース最高だったよ。すごく格好良かったよ。ここまで苦しかったね。辛かったね。本当におめでとう。私は妹のファン1号です。」
と妹に対して愛に溢れるメッセージを残しています。
本当にいい家族ですね。こんな家族がいるからこそ寺村美穂選手も怪我に負けることなく頑張り続けられたんだと思います。
最後に
水泳界の注目選手寺村美穂選手を紹介しました。
怪我にも負けず水泳を続けるその姿には見ているこちらも勇気をもらえます。
家族との関係性も素晴らしいし、羨ましくも思えますね。
これからも水泳選手としてはもちろん、人として魅力にあふれる彼女を応援していきたいですね。
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